35 賞味期限迫る
いつも市の定期健康診断は秋ごろに受診していたのですが、今年は丁度この頃に痔を悪くして便の潜血検査結果に影響を及ぼす恐れがあったため、少しタイミングを遅らせて年明けもかなり過ぎてから受診した。
実は昨年も一個に陽性反応があり、大腸カメラの検査を受けたが結局異常は見つからず、恐らく痔が悪かったのではないかという見立てで何事もなく検査は終っていた。 そんなこともあったので今年はあえて健康診断の時期を遅らせたのですが、陽性反応があったいじょう念のために大腸カメラの予約をして精密検査を受けることにしました。 かかりつけ医の先生がリモコンを操作しながら見せてくれたモニターには、腸壁になにやらごつごつとした隆起が映し出されていた。
大きさは2~3センチ位あろうか、癌の可能性があるので手術して取った方がよいという見立てである。 腫瘍の場所は小腸から大腸へ繋がってすぐのところで、まだ食物が柔らかい状態なので潜血検査で異常が発見される確率はかなり低いらしい。 すぐさま医療設備の整った大学病院を紹介していただくことになった。 紹介された大学病院へ行くと、主治医からは上向結腸癌のステージ3と診断され、さっそく入院・手術の予約と手続きをすることになった。 同じころにマスコミで報道された自衛隊出身の舞台俳優Iさんの場合は、長らく健康診断を受けていなかったために発見された時には手の施しようががないほど進行(ステージ4)しており、その後僅か3か月ほどで帰らぬ人となった。 オヤジは偶然にも半年余り健康診断を遅らせた結果、発見しにくい部位にも関わらず最悪になる前に異常を発見することが出来たのかもしれない。運が良かったのか?もちろん癌と言う病気は嬉しくないがあらためて定期健康診断の重要性を認識させられたことである。 癌と言う病気は今や日本人の死亡原因のトップであり、オヤジぐらいの年齢にもなれば何時誰がなってもおかしくはないのだが、自分がこの病気になるなどとは微塵も考えてはいなかった。
ただ自分でも不思議なことに、癌を宣告されたときはかなり心理的に動揺するかと思いきや意外と落ち着いていた。
オヤジも少しづつ残り時間を考えるような歳になってきたので、すこしは悟りを開いてきたのかもしれない?? 半分居直り気味に受け止めてはいるものの、本当はそんなに冷静ではなかったのだろう。病院からの帰り道は何となくジ時間がゆっくりと流れ、周りの景色も若干モノトーン気味になっていたように思う。 それと、人との会話もなんだかおっくうになる。相手は心配して気遣ってくれるのだが、こちらは話す相手が変わるたびに毎回同じ説明を繰り返さねばならず、そのたびに嫌でも現実に引き戻されるからだ。 なんだかんだと言ってみてもやはり完全に平静でいることは難しい。 手術は内視鏡で行った。 手術時間は約5時間。朝9時にストレッチャーで病室を出発し、帰って麻酔から覚めたのは15時頃だった。
目を覚ますとベッドの周りをぐるりと6人の白衣の天使が取り囲んでいた。たぶんストレッチャーからベッドへ体を移動させている最中だったのだろう。
記憶では、「まるでハーレムだね」とオヤジギャグを発信したつもりだったのだが、なぜかまったくウケずあえなく撃沈...!(^-^;
手術後しばらくは鎮痛剤が点滴チューブに接続され、傷が痛んだときに最短5分のインターバルを守りながら自分でリモートスイッチで投薬するのだが、この薬が全然効かない。あまりに痛くて眠れないので看護師さんに頼んで別の鎮痛剤を薬剤部に処方してもらってやっと眠ることができた。
翌日から切除した部分の癒着を防ぐためにすぐに歩行訓練が始まったが、ベッドから降りるだけでも痛いのに歩くのは相当つらいものがある。 結構痛いので最後まで歩けないかもしれないと看護師さんにすこし弱音を吐いてみると「歩けなくなった車いすで送ってあげますからね」と軽くあしらわれてしまったに。甘えはどうやら通用しないようだ。 まじめにリハビリに励んだのでかなり順調に回復し約3週間で退院することになった。ただ癌細胞の他への転移を確認するために手術時に採取した周辺細胞の検査結果が退院に間に合わず後日の知らせとなった。 タバコも止め、お酒も盆・暮れ・正月の3回しか飲まず、毎朝毎夕合計2時間のワンコの散歩と週に二日の山仕事をやってきて、これなら問題なく平均的な健康寿命まで活動できると思っていたが、世の中思うようにはいかないものである。 予想よりかなり早く賞味期限がやってきそうだ。細胞検査の結果しだいでは山小屋プロジェクトの見直しもしなければならないだろう。 |
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