02 人生の賞味期限

親切なお役所は我々のボケ防止のために年金の支給開始時期を遅くらせて、その分より長く働く機会を与えてくれようとしています。昔にくらべて平均寿命が延びているので、当然もう少し長く働けると言う訳です。決して財源不足というわけではありません。あくまでも我々の健康維持のための有難い心遣いなのです。

しかし本当に我々の寿命は伸びたのでしょうか?
最近の統計を見ると、平均寿命の延びは65歳以上の死亡率の減少が極めて大きく寄与しています。しかしながら、これは医療の進歩によって単純に高齢者の生存率が高くなっただけと見えなくもありません。

食品に例えれば、「防腐剤の改良によって消費期限を多少延長することができたが、 美味しく食べられる賞味期限は今までどうり...」と、言ったところでしょうか?

お役所の親切心に甘えてこのまま働き続けてよいものでしょうか?へたをすると晴れて年金生活に入る頃には既に「人生の賞味期限」は切れ、あとは残された「消費期限」を出来るだけ社会のお荷物にならないようにおとなしく過ごしなさいということにもなりかねません。 「現役引退と同時に人生も引退」...。これほど悲惨なことはありません。

たった5年だから関係無いと言う人もいるでしょうが、5年前と現在の自分を比較してみてください。よほど肉体に自信の有る人を除き、その間の体力の差は歴然としているはずです。そして次の5年間はさらに加速度的に体力が低下していくことでしょう。

自分の年金需給見込み額を計算してみたところ、60歳受給開始と65歳需給開始とでは73歳で総支給額で同じになりました。つまり、運良く平均的な寿命を得て82歳まで生られたとしても、5年間の貴重な賞味期限を犠牲にして得られるものは消費期限間際の最後の10年間を少しばかり多めの年金をいただけるというだけです。 それも仮に年金制度がこのさき何も変わらないと仮定しての話です。しかしながら日本のお役所のことですから、またナンノカンノと理由を付けて支給条件を変えてこないという保障は何処にもありません。そもそも原資が不足しているのです。

それにもうひとつ忘れてはならないのは、医学界でささやかれているある一つの仮説です。「団塊の世代の平均余命はこれまでの明治、大正生まれの人たち程には長くない可能性がある」というものです。 それは戦後の少年期成長過程に深刻な食料の窮乏状態を経験しているためで、急速に発達した世界経済の中で日本の団塊の世代だけが世界的にも稀な窮乏の少年期と飽食の時代を経験しました。そして成人病が極端に多くなっているのも団塊の世代なのです。

厚生労働省の予測に反して(いや思う壺か)我々団塊の世代は以外に短命に終わるかもしれません。
年金制度もいつまたお役所の都合で変わるかもしれません。