丸正自動車ライラックCF40

ライラックCF40
メーカー丸正自動車製造株式会社
モデル名ライラックCF40
型式--
全長/幅/高1,940/640/945mm
ホイールベース1,300mm
車体重量---kg(乾燥)126kg(装備)
燃料容量9.0リットル
エンジン空冷4サイクル66°V2気筒OHV2バルブ
総排気量124.6cc
最高出力10.7ps/8,000rpm
最高トルク0.98kg-m/7,500rpm
原動機型式--
変速機型式常時噛合式4段ロータリー
タイヤ(前)22x2.75(2p) (後)22x2.75(4P)

▮車両プロフィール▮
ライラックCF40(1960年発売) - プレス鋼板のバックボーンフレームであったライラックCS28をスポーツ型としたもので、 新設計されたパイプバックボーンフレームに66度Vツインを吊り下げ、ツインキャブの装着で、10.7psのパワーと110km/hの最高速を誇りました。 始動はセルとキック併用で、キックスターターはシャフトドライブのレイアウトに合わせて横向きに蹴り出す形式で、クラッチには乾式多板方式が採用されました。 車体の両サイドに取り付けられた、一見ゼッケンのように見える楕円形のプレートの裏には6Vバッテリーが左右にそれぞれ1個(合計2個)搭載されています。
シャフトドライブの採用は1950年のライラックMLから始まりますが、58年頃まではエンジンの形は単気筒が主力でした。 59年になって、250ccのLS18/38や300ccのMF19/39、125ccのCS28/CF40/C81などの多種多様な縦置きVツインモデルが市場に投入され始めますが、 熾烈なメーカー間の競争の中でしだいに同社の経営が悪化していき、ついには1961年10月に1回目の倒産をして生産がストップしてしまいます。 こんな訳で、縦置きVツインが脚光を浴びた時代は、59~61年のわずか数年(一部の縦置きVツインは63年まで生産が続けられた)しかありませんでした。
しかしながら、日本のモーターサイクルの歴史にシャフトドライブという異色のメカニズムを開いたライラックは、人々の記憶の中に鮮明に生き残る、まさにレジェンドバイクと呼ぶにふさわしい存在と言えるでしょう。

【丸正自動車製造㈱】
丸正自動車製造株式会社(まるしょうじどうしゃせいぞう )は、1948年から1967年まで活動した自動車製造企業で、 創業者の伊藤正は、本田宗一郎が経営していたアート商会浜松支店に入社し、自動車修理工として技術を習得しました。 そして、1938年に兄と共に独立し、自動車整備工場として丸正自動車商会を設立しました。
丸正商会は、第2次大戦中は一時閉鎖されるも、1946年に操業を再開し、自動車整備業と並行して二輪車の製造研究にも着手します。 丸正の技術陣は、当時まだ耐久性、安全性に問題のあったチェーン駆動を廃して、シャフトドライブ機構を搭載したオートバイの開発を進め、 48年にチャンネルフレームに自動変速機構を備えたML型150ccの試作に成功して「ライラック」と名づけました。
51年からはライラックMLやLBの本格的な量産が始まり、当時百を超えるオートバイメーカーが存在していた中で、ホンダ、メグロ、昌和、新明和、陸王、ミヤタに次ぐ販売数「国内7位」となりました。 そして1953年には、「ベビーライラック」が大ヒットし、販売台数はさらに伸びてホンダ、トーハツに次ぐ「国内3位」の座にまで上りつめます。
しかし順調に成長していた販売台数は、1956年の10,000台超えをピークにしだいに落ち込み始め、 後から追い上げてきたヤマハ(55年オートバイ生産開始)やスズキ(53年同)にも捲くられてあっという間に8位に後退してしまいました。
苦境の中、1960年に開発したライラックAS71を、三菱重工業のシルバーピジョン・ブランドで販売するOEM計画が進められましたが、事は計画通りに運ばず、ついに1961年10月に1回目の倒産をしてしまいます。 その後、ホンダの下請けとして再起を図り、1962年の東京モーターショーで発表したフラットツインのR92のアメリカへの販売で活路を見い出そうとしますが、結局うまく行かず、1966年12月には完全に清算となってしまいました。
第二次大戦後の日本では300社近くの2輪メーカーが産声を上げたものの、 50年代も後期になると二輪車メーカーごとの技術開発や生産能力と営業力に大きな格差が生まれだし、日本各地に膨大な数が存在した中小のオートバイメーカーは次第に淘汰され、 そのほとんどは’70年代を迎える前に消滅してしまいます。
第1回浅間高原レースにおいて250㏄クラスでホンダやヤマハ・スズキを破って優勝し、その技術力の高さで日本全国に名を轟かせ、一時は販売台数国内3位まで上がりつめた丸正自動車も、 この淘汰の渦から逃れることはできず、惜しまれながらもその歴史に幕を閉じてしまいました。



ライラックCF40

1964年、高2の夏にアルバイトをして、自分で買った初めてのバイクです。
まだバイクの事はなにも判らず、見よう見まねでいじっていましたが、次第にその魅力にとりつかれ、バイクの保有台数は次第に増えて、 気付けば後に紹介するホンダCB72やメグロZ7の他にトーハツランペットやヤマグチオートペットなど、一時は5台にもなっていました。

(自宅の庭にて)

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